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第18話 戸惑い

Author: 文月 澪
last update Last Updated: 2025-07-04 16:00:43

 先輩は膝の上で組んだ両手に力を込め、顔を上げる。その表情は、今までとどこか違っていた。

「凜ちゃん……!」

 そう言いかけた時、扉の開く音が響く。引きずるようなスリッパの音で、生徒ではないと分かった。その音は徐々に近付いてきて、サッとカーテンが開かれる。

「ああ、起きたんだね新堂さん。ちょっと野次馬から事情を聴いてきたけど、頑張ったんだね。眞鍋さんの事は、教師の間でも問題視されてて……ん? 瀬戸くん、なんだか大人しいね。いつもの口汚さは……」

「わーっ! ちょっと待て! あ、いや待って! 先生、ちょっとこっち!」

 先輩は何故か慌てて先生の手を引いて、カーテンの向こうに消えていった。その様子に親しみを感じ、胸がチクリと痛む。

(なんだろう……まただ)

 この感じは、先輩に出会って何度か経験している。でも、それはどれも違う場面で起きていた。

 最初は先輩に初めて会った時。どこか他の人と違うものを感じて、心がざわついた。

 昨日、昼休みに会った時も、可愛いと言ってくれたことが嬉しかったのを覚えている。

 そして今日の早朝。ずぶ濡れの先輩の言葉が忘れられない。

『誰もいない学校が好き』

 その気持ちは、私にも分かった。今日のように日直で朝早く来た時の静けさは、いろんなしがらみから解放されるようで、すごく落ち着く。多分、先輩の言葉に共感したんだろう。

 でも今は。

 自分でも説明できないような、暗い気持ちが渦巻いている。眞鍋さんに感じたものとも違う、先生が羨ましいような、妬ましいような、そんな感覚だ。

 先輩が握った手は華奢で、女性の柔らかさがあっ

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